東京都よろず支援拠点のコーディネーターの高でございます。
先月7月の休日、何年か振りに知人に誘われて、ライブハウスに行ってきました。
飲食店を経営する、そのマスターが「自分も唄うから、是非、聞きに来てみて。」と、珍しく強く言うのでそこまで言うのなら、と足を運んでみることにしたのでした。
都内、夕方。17時からの開演スタートだったのですが入り口で、入念にコロナ・チェックを受けた後16時半に入店したところ、すでに席は、満杯。チラホラと、立見まで出ている状況です。
会場の壁際には、きっと故人のものなのだろう、Tシャツや、思い出の品が並べられ
「圭介」という名前のラベルが貼られた「1本のワインボトル」(注 ※1)が、置いてありボブ・ディランの『Blowin’ in the Wind』(注 ※2) が静かに流れている・・・。
このライブ、実は「圭介さん メモリアルライブ&送る会」と銘打たれたお別れ会でした。
勿論、私自身、早春に亡くなられているこの「圭介さん」という方にお会いしたことは、ありません。
結論から言いますね。
気づかずに、目から涙がこぼれていました。
壇上で唄う方、皆さんが、「圭介さん」という方にお世話になった方ばかりなのでしょう。唄う前に、一言「圭介さん」との思い出話をひとしきりしてから一人一人、大体、2,3曲を唄って次の方にバトンタッチしていく・・・。
そんな思い出話の中で不思議な事に出演者の皆さんが、一つだけ共通して言われていたことがあったのです。
それは、「圭介さん」に「怒られた」という話。
ある人は、「圭介さんには、会ったその日に、メチャクチャ怒られた。」
別のある人は、「熱くなって、熱くなって、最後、大ゲンカになった。
そして、自分は、圭介さんから、役割をもらった。」
「生き様」、「魂」、「自分を信じろ」という生き方
ため込まないケンカを一杯して今、思い返すと、愛のあるケンカをたくさんしました・・・
そういう思い出話を、ゆっくりと静かに語られた後に唄う歌声。
その歌声に、自然と涙が溢れてしまいました。
感謝しかない。もう会えないなんて信じられない。
死んだ後も、そう言われて、慕われてボランティアで集まるお別れの会。
そこにあるもの・・・
人には、様々な生き方があります。経営者の生き様も、それぞれです。事業の立直しに成功すると、しばしば「再生」の次には(又は、同時に)「承継」の問題と対峙することになりますが「事業の再生」は、「人の再生」「承継の問題」は、「生き方の問題」
「圭介さん」と言う人に「怒られ」ながらも、他人を泣かすような「想い」の強さが
その唄う声から感じられたこと・・・。
圭介さんという人が残していったもの。
それはおカネでも無ければ事業でもありませんでした。
ライブに誘ってくれた知人のマスターは照明を全て消した真っ暗闇の会場の中で、
唄う姿を、最後まで見せずに『上を向いて歩こう』を唄い切り再び、照明の中で続く仲間たちが唄う声には1曲、1曲万雷の拍手が送られていく。
最後の一曲は、故人が、ワセダ仲間で作ったというバンドが唄う彼らのオリジナルソング
『Change my life』 で締めくくられました。
「事業の再生」で渡す側は、何を残すのか受ける側は、何を目指すのか
最後の1曲圭介さんの抜けた『Change my life』の中で「明かりを目指す」
というフレーズが、何度もリフレインされていました。
閑話休題。
8月11日世界的ファッションデザイナーの森英恵さんが、96歳で死去した、とのニュースが流れました。
コシノジュンコ氏等日本のファッション界のリーダー達に大きな影響を与えてきた巨星。
ニュースと共に、故人の動画がテレビでも何度か写されていましたがその動画の中に出て来た森英恵さんの、一言「何のために、自分はここにいるのか」
この言葉が、とても深く心に刺さりました。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
よろず支援拠点には売上拡大、経営改善・事業再生等で成功事例を抱える外部専門家が、数多く在籍しております。困ったとき、相談者がいないとき等、いつでもお気軽にお声がけください。一緒に考えて参ります。
(注)
※1 ワインボトルの由来:圭介さんは、都内で飲食店のマスターをしていましたが、そのお店は、数年前、隣家からの火事に巻き込まれて、全焼させられていたのです。
ところが、その焼けたお店の中から、この1本のワインボトルだけが、無傷で残っていたのだそうです。
※2(邦題)「風に吹かれて」:2016年ノーベル文学賞を受賞